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2014-02-25

「ケッコンカッコカリ」で艦これが失ったもの

  私、正しかろうが正しくなかろうが自分が楽しんでいる物にあれこれ難癖つけられるのが大嫌いな性格なのでネットで嫌な思いをすることが割と多いわけ。まあ自分が楽しめないからといって楽しんでいる人間に水を差すようなことやる輩に売らんでもいい喧嘩を幾つも売ってきたりもしてるので自業自得な所もあるのだけども。勿論逆に自分が楽しめないからといって延々と愚痴ったりして楽しんでる人の気持ちを阻害するのも嫌だったりするので、このことに関してはTwitterでちょっと書いただけであとは自分の胸の内におさめておこうと思っていた……けれどもでもやっぱりちょっと無理っぽいのでここで吐き出す。



 「ケッコンカッコカリ」を楽しんでる人はこれ以上見てはいけない。

「かけがえのないもの 失したあとは
どんなに似たものも かわれはしない」

―村下孝蔵「ゆうこ」

 

 艦これがブームになった理由は幾つかあると思うけれど、その一つに「緩さ」があると思う。勿論ゲームそのものは全く緩くない(イベントはいつも阿鼻叫喚地獄絵図)。ただそれ以外が本当に緩い。ストーリーは基本的になく、世界観すらほぼ謎の状態で、艦娘一つとっても性格を推し量れるのはゲーム中で流れるボイスのみという状態。

 だから多くのプレイヤーは各々の想像の範囲で明かされていない設定のすき間を埋めようとするし、艦娘と深海棲艦の戦いに理由をつけストーリーを作るし、艦娘が大日本帝国海軍の艦艇の擬人化であるとい所からキャラ付けをするし、ボイスや史実から垣間見える要素から他の艦娘との関係性を想像したりする。

 そして出来上がった物が二次創作として様々な形で流布し共有されることで艦これの世界観は拡大整地されていく、そうした過程に参加できる楽しさ、その過程で生まれる魅力的な二次創作を楽しめること、ゲームにある緩さが生んだ想像の余地・創作の可能性、それはゲームの本質そのものではないと言ってしまえばそれまでだけれども、艦これというゲームが持つ人を惹き付ける大きな魅力になっていることは間違いない。

 この「緩さ」というのはゲーム中の「提督」という存在にも現われている。ゲーム中の艦娘のボイスと公式からのプレイヤーへの呼びかけが基本提督名義になっている所から考えれば「提督」がゲームの主人公でありプレイヤーの分身として設定されているのは確かだ。でも基本ストーリーがないから本来物語の中で形成される主人公としてのキャラもプレイヤーの分身としての一体感も強くあるわけではない。だからプレイヤーによって様々な提督像が生まれる。分身として艦娘との関係を妄想する者もいれば自己とは切り離したところでのキャラとして考える者もいるしほぼ存在を無視する者もいる。

 で、ここからが本題。

 「ケッコンカッコカリ」というシステムはゲーム的な本質としては艦娘のレベル上限の解放でしかない。基本解放するのに課金が必須であるという点を除けばそれに関して何か文句がある人はほぼ無いだろう。

 問題はそのシステムに「ケッコン」という皮を被せてしまったことにある。

 カタカナで「ケッコン」と書こうが言い訳のように「カッコカリ」を付けようが、どう考えても「ケッコン」は「結婚」であるし(ご丁寧に実行のためには「書類一式&指輪」というアイテムが必要だ)、今の日本社会における「結婚」という言葉には「男女間の恋愛関係の終着駅」的なイメージしかない以上、「ケッコンカッコカリ」は提督と艦娘間の関係をある種の恋愛的ものとして昇華させるシステムに他ならないのであり、それは前述のようなプレイヤーが各々持っていた提督像や提督と艦娘の関係性と少なからずとも相容れない場合があるものを公式に提示してしまったものでしかない。

 それは余白に好きな色のクレヨンで絵を描いていたところ、ここはほんとはこういう色なんだよといいながら墨汁をぶちまけるような行為に等しいものだった。少なくとも私にとっては。

 さらに気にも留めてなかった提督と艦娘の関係をこうやって半ば強制的に意識させられるようになると、ゲーム中の提督描写の醜悪な部分が目に付くようになってしまう。艦娘の旗艦時のボイスではしばしば提督が艦娘にボディタッチしていることが示唆されているわけだけれども、これを「ケッコンカッコカリ」というシステムを踏まえた上で見てみれば、人事権を持った上司による部下へのセクハラ以外のなにものでもないし(勿論最初から変らずセクハラであり「ケッコンカッコカリ」がなくったって気付けという話でもあるのだけど)、そんなことしながら「ケッコンカッコカリ」で艦娘との絆をとかお前脳みそにウジわいてるのかというレベルの酷い話でしかない。私、こんな人間のクズ以下のウジ虫にも劣る提督を自分の分身だと思いたくないよ。

 ゲームに何ムキになってるのとかゲームと現実の区別くらいつけろとかゲーム内くらい好きにやっていいだろとかそういう意見もあるだろう。創作の中だからこそ正しくない行為が出来る。それも正しいし真理の一つだ。でも創作物として現実世界にそれが表出した以上、現実世界の尺度を持って受け止められるのもまた当り前のことだと思う。日本のオタクやクリエイターはどうもそういう部分をに鈍感というか内輪で盛り上がることだけを優先して周りが見えてないというか、自分たちが楽しいということを免罪符にしてその輪の中に入れない人のことを意図せずに排除する傾向にある(私も艦これ秋のイベントで愚痴を延々と垂れ流しているような輩に嫌なら止めろよとか言ってたけどね、イェイ!)。「ケッコンカッコカリ」もまたその悪い部分が形として現れたものの一つなんじゃないだろうか(最悪なのがケッコンを断る艦娘が複数存在するというご褒美システムならご褒美に徹すれば良いのにそれすらできない運営側の独りよがりがあるところ)。

 とまあなんとなく書いてきたけどこの辺を総合すると「ケッコンカッコカリ」への拒否反応というのは、今まで自分が遊んでいたもの・好きだった物を無慈悲に公式が否定してくる事への嫌悪感に他ならないと思う。例え「ケッコンカッコカリ」が恐らく運営側がゲーム企画の最初の方から考えていたもので割りと早くに実装が言及されていたものだとしても、元々公式には言及されてないことを二次創作でお前が勝手に妄想しただけと言われようとも、例え虚像だろうが私が好きなものは確かにそこにあったわけでそれを否定されればネガティブな感情だって起って当然よ。

 個人的には「ケッコンカッコカリ」で艦これをやるモチベーションの何割かは確実に低下してるけれども、まだ「鎮守府にいる艦娘全員レベル50化計画」は途中だし(現在110人中78人まで完了)、なにより今レベル62の龍驤ちゃんをあと40ほどレベルを上げないといけない使命が残っているので艦これはまだ止めないよ。今後こういう無慈悲に余白を埋めるようなシステムが導入され続けるのなら心は折れるだろうけども。

Kankore20140224_2
なんとなく現在の我が鎮守府のレベルトップ20を貼っておく。

 いやほんとなんとなくなんだけどね、艦これにおける「ケッコンカッコカリ」は東方における儚月抄的な物になるのかも知れないなあとほんとなんとなく思った。

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